繰り返す過ち

社会、宗教、企業、団体、組織、家族、それら拘束器具に隠された現代病理のアナグラムを紐解いていくにつれて、唯物論者に近づいてはゆくけれども、その一方で必然的に妄想と現実と錯覚との境界線が曖昧になる。潜在意識と表層意識の求める一筋の願いはやがて倒錯し歪に交錯しあうから、目の前の物事を認識し判断し行動に移す一連の動作が一瞬のうちに実行され、トリプル・バインドを引き起こしている。肯定する視点と否定する視点と、その両者を俯瞰する視点に絡めとられ、あらゆる理論は融合すると安易に考えてしまいがちになるが、私は煩悩も苦悩も捨てるために望みを捨ててゆくだろう。心理学者も科学者も医者も坊主も占い師も霊能者も救いようもないほど病みきっていて、良心の呵責すら抱かないからなにをしようが自分に返ってこず悪循環こそ生み出さないが、そのようにしてこの社会の流通は成り立っている。医師は副作用と主作用がバランスよく釣り合うように薬を処方し儲けているし、有名な占い師はお墓を売って儲けているし、坊主は歴史の浅い大衆化された経文を唱えつづけ儲けている。そして弱い人間はそれら人類の苦悩が生みだした迷妄にすがりついては搾取され、用済みとなれば駆逐されてゆく。赤子に罪はないというが嘘である。悪いものは私の世代で断ってしまわなければならない。仏壇も墓も壊してしまえばよい。魂などただの中性子であるし、死ねばただの骨屑しか残らないのだから。ただ、両親と電話をしているときに振り子時計の鳴る音が聞こえてずっと麻痺していた感情が溢れ出し涙が流れた。子供のころに1度こわれ、捨てられようとしていたところ私がどうか直してと頼み込んだものだ。あのようなことさえしなければ。あのようなことさえしなければ笑顔も泣顔も自分も大切な家族でさえも、躊躇うことなくいとも簡単に犠牲にできていただろうに。