シーフードドリア

昨夜に去年の日記を読み返したら、別の誰か、ドッペルゲンガーかちょっとアレなひとが書いたコントにしかみえなくて驚いた。普通に生きているのが不思議でならないが、失ったもの捨てたものは数え切れない。今日は明けて11月22日、祖母の命日からちょうど1ヶ月になる。会社の帰りにお腹が空いてシーフードドリアを食べているときに思い出した。5年前の今頃はコンビニのデリバリーで頼んだエビドリアを食べて馬鹿みたいにぼろぼろ泣いていた。さっきも多分お腹が空いていたんだろう。空腹のひと貧しいひと寂しいひとには、様々なものが甘い餌をぶら下げて寄ってくる。そうして大切な思い出すら被害者ぶって切り売りしているうちに掌は汚れて虫食いだらけになっていくけれど、それでもまだ失ったものの穴埋めをするために別の何かを取り込みたいのなら、全てをゼロに帰すまで持ち去って欲しい。そう願った10月15日に祖母の気配は消えて、命日に帰っても実感が湧かず涙ひとつ零さなかった。祖母と暮らした最後の1年間の思い出は、夏の暑い日に小豆のみぞれをあげた厭らしい記憶だけ。これだけはどうしても最後まで残るだろう。そのとき返ってきた言葉がサイレントボイスと交差することが最近よくある。takamackyさんが拾ってくれなければ今頃は思い出すこともなく、きっとあのまま歪みきって呪うことしか知らなかった。