ジャン・コクトー『大胯びらき』

ジャック・フォレスチェは涙もろかった。映画や、俗悪な音楽や、さては一篇の通俗小説などが、彼の涙を誘うのだった。彼はこうしたそら涙と、心の底から溢れ出る本当の涙とを、混同したりはしなかった。そら涙というやつは訳もなく流れるようであった。

桟敷の薄暗がりでは涙の粒をかくしていたし、本を読む時は一人だったし、それに、本当の涙をこぼすことなどは滅多になかったので、彼は冷ややかな才子だと人から思われていた。

彼が才子だという評判は、その素早い頭の働き方に由来していた。彼はこの世のありとあらゆるものに韻を呼び出して、すべてがいつも詩らしく見えるように、それらの韻を結びつけるのだった。何事によらず、われわれは韻によって物事を理解するのである。

彼は固有名詞や、表情や、動作や、おどおどした口ぶりなどを露骨にし過ぎて、それらをその本来の姿から縁遠いものにしてしまうほどであった。こうした流儀が、彼に嘘吐きだという評判を得さしめた。

更に言えば、彼には美しい肉体や美しい容貌を、その属する性の如何を問わず、熟愛する癖があった。この一風変わった性質のために、彼は品行が悪いと言われた。なぜなら品行が悪いということは、人々がよく考えもしないできめてしまう唯一の事柄だからである。

自分の意に適う風采を持ち合わせてもいなければ、自分が心に描く青年の理想のタイプにも当てはまらなかったジャックは、もう今さら、自分とあまりにかけ離れたその理想のタイプに、追いつこうとは努めもしなかった。(P 5-6)

足を踏みしめて大地を行くこの快楽主義者、風景画や書物のこの批評家、彼はたった一本の糸でこの世とつながっている。

彼は潜水夫のように重い。(P 10)

ジャックは長い仮死の状態で生きている。自分が不安定な感じでいる。ふらふらしながら立っているより仕方がない。ほとんど坐ることもできないくらいである。船暈を癒しきれないあの水夫達のように。(P 11)

以上、ジャックという人物の輪郭を洗って見たところで、わたしは彼を地上の余計者と呼ぶことにしよう。(P 10)

彼は右翼にも左翼にも満足しない、左翼などは生ぬるいと思っている。と言って、彼の過激な性質は、いかなる穏和派にも与さない。

だから、《両極端は相一致する》という原理のとおり、彼は純粋の極右党をあこがれながら、極左党と紙一重に接近していた。しかし彼が単独行動し得るのは、こういった場所以外にはないのである。実際にはそのような議席はあり得ない、いや、仮にあったところで、誰も坐りはしないだろう。しかるにジャックは当然の如くその議席におさまり、そこから、政治・芸術・道徳上のあらゆる問題を眺めていたのである。(P 9)

十一歳から十八歳までの七年間を、彼は、燃えやすくて変な臭いのするアルメニヤ紙のように、めらめらと焼きつくした。(P 18)

われわれの人生の地図は折りたたまれているので、中をつらぬく一本の大きな道は、われわれには見ることができない。だから、地図が開かれて行くにつれて、いつも新しい小さな道が現れて来るような気がする。われわれはその都度道を選んでいるつもりなのだが、本当は選択の余地などあろうはずがないのである。

ある若いペルシャの園丁が、王子にこう言った、「王子様、今朝私は死神に出遭いました。死神は私に向って、何か悪いことの起こりそうな仕草をして見せました。どうかお助け下さい。今晩までに、なんとかしてイスパハンに逃げのびたいのですが」

親切な王子は自分の馬を貸してやった。午後、王子が死神に出遭った。
「なぜお前は」と王子が訊いた、「今朝、うちの園丁をおどかすような真似をしたのかね?」「おどかすような真似だって?」と死神が答えた、「とんでもない、驚いた仕草をして見せたまでだ。だってあの男、今朝はイスパハンからこんな遠いところにいたのに、今晩はそのイスパハンでおれにつかまる運命なんじゃないか」(P 28-29)

ここで澁澤龍彦の遺作である『高丘親王航海記』にあった、"アナクロニスムの非" という言葉および、全編に満ち満ちた雰囲気を想起したのは、ぼくだけではないだろう。

もしも悪辣で残忍なパリの猟人の一人が、彼をその巣から追い出したならば、彼をひねり殺すことはわけもなかったはずだ。たった一言で、彼は堕落させられていたはずだ。(P 7)

彼は右翼にも左翼にも満足しない、左翼などは生ぬるいと思っている。と言って、彼の過激な性質は、いかなる穏和派にも与さない。

だから、《両極端は相一致する》という原理のとおり、彼は純粋の極右党をあこがれながら、極左党と紙一重に接近していた。しかし彼が単独行動し得るのは、こういった場所以外にはないのである。実際にはそのような議席はあり得ない、いや、仮にあったところで、誰も坐りはしないだろう。しかるにジャックは当然の如くその議席におさまり、そこから、政治・芸術・道徳上のあらゆる問題を眺めていたのである。(P 9)

十一歳から十八歳までの七年間を、彼は、燃えやすくて変な臭いのするアルメニヤ紙のように、めらめらと焼きつくした。(P 18)

われわれの人生の地図は折りたたまれているので、中をつらぬく一本の大きな道は、われわれには見ることができない。だから、地図が開かれて行くにつれて、いつも新しい小さな道が現れて来るような気がする。われわれはその都度道を選んでいるつもりなのだが、本当は選択の余地などあろうはずがないのである。

ある若いペルシャの園丁が、王子にこう言った、
「王子様、今朝私は死神に出遭いました。死神は私に向って、何か悪いことの起こりそうな仕草をして見せました。どうかお助け下さい。今晩までに、なんとかしてイスパハンに逃げのびたいのですが」

親切な王子は自分の馬を貸してやった。午後、王子が死神に出遭った。
「なぜお前は」と王子が訊いた、「今朝、うちの園丁をおどかすような真似をしたのかね?」
「おどかすような真似だって?」と死神が答えた、「とんでもない、驚いた仕草をして見せたまでだ。だってあの男、今朝はイスパハンからこんな遠いところにいたのに、今晩はそのイスパハンでおれにつかまる運命なんじゃないか」(P 28-29) ※ ここで澁澤龍彦の遺作である『高丘親王航海記』にあった、"アナクロニスムの非" という言葉および全編に満ち満ちた雰囲気を想起したのは、ぼくだけではないだろう。 by hirokawa

ジャン・コクトー JEAN COCTEAU / 『大胯びらき』 LE GRAND ECART

原題の Le Grand Ecart とはバレー用語で「両脚を広げて床にぴたりとつけること」であるが、幼い少年が一人の青年へと成長していく暗喩にもなっている。