時空列

瞳に映るものすべてをターニングポイントであると捉えてしまい、たとえばコップや本を動かすときなど私がなんらかのアクションを起こすとき、思考を切り替えるまえに「運命が変わる」と暗唱してしまい、ワンテンポ擱いて筋書き通りに行動する癖が気づけばなくなっている。要は判断力が欠如していて直談判を下せないだけなのか、時空の変化に目を光らせるほか生きていく術がなかった。

『A3』という MMORPG に無為に熱中しているときは、こんなことをする暇があるのだったら他になにか有益なことをできるのではないかと考えてしまい、自然と足が火照りながら痺れてきて素直に楽しめない。2通りの反発し合った思考が錯綜しながら頭のなかを駆け巡る、所謂ダブル・バインドなるものも顔を擡げてきてしまうのだ。これはもしかすると私とは別の時空列にいる私からの警告なのかもしれない。若しくは、前向きになろうとする意思と後向きになろうとする甘えとが微妙な位置で境界線を漂っているのかもしれない。

3年前に桑沢デザイン研究所へはいる決意をし会社を辞めたものの、高校を訳あって中退しているので入学することはできなかった。現在はお金がないのでもう入学できないことは判っている。こういったものをひとはターニングポイントと呼ぶのだろう。もしもあのときこうしていたらという考えは未来に影響せずとも現在に大きな波紋を呼ぶが、過去にはなんらの影響も及ぼさない。ただ、孔子の "過ちを犯して改めないのが過ち" という言葉を真とするならば、ここを0地点と受け止め、現在の私は未来の私の抱く過去から遣り直したいという意思に干渉されていることで生き繋いでいるといった考えもまた然りだと思う。