ジャン・コクトー: 大胯びらき

ジャン・コクトー / JEAN COCTEAU | 1889-1963 FRANCE

フランスの詩人。単に詩だけではなく、その活動は小説・戯曲・評論・絵画など、ほぼすべての芸術ジャンルにまたがっている。彼の多才ぶりは瞠目に値し、新作ごとにごうごうたる賛否を巻き起こし、醜聞にまで発展したこともまれではない。

しかし彼はあくまでも詩人であり、それ以外の形式を試みる場合でも、常に彼自身の詩を表現しようとした。彼の作品は要するに〈究極においては真実となる虚偽〉の連続であると言えよう。その大半が生の裏返しである死を扱い、眠りと夢を追求し、生と死をつなぐ天使を重視したのも当然である。

パリ郊外の裕福な家庭に生まれ、少年時代から社交界に出入りして芸術家たちと知りあい、20歳で処女詩集を刊行、ストラビンスキー、ディアギレフ、ピカソ、サティらとの交友を通じて風変りなバレエ台本を書いた。生涯に発表された詩集は20冊に近い。

作家ラディゲや俳優ジャン・マレーとの交友、阿片中毒、第2次大戦前の日本訪問を含む早まわり世界一周など、コクトーにまつわる逸話はおびただしい。だが、伝統と前衛、建設と破壊、秩序と無秩序、夢と現実、これらが盾の両面であることを体現した作家として、彼は常に興味深い症例を提供し続けるであろう。

大胯びらき (河出文庫)

大胯びらき (河出文庫)

彼は右翼にも左翼にも満足しない、左翼などは生ぬるいと思っている。と言って、彼の過激な性質は、いかなる穏和派にも与さない。
だから、《両極端は相一致する》という原理のとおり、彼は純粋の極右党をあこがれながら、極左党と紙一重に接近していた。しかし彼が単独行動し得るのは、こういった場所以外にはないのである。実際にはそのような議席はあり得ない、いや、仮にあったところで、誰も坐りはしないだろう。しかるにジャックは当然の如くその議席におさまり、そこから、政治・芸術・道徳上のあらゆる問題を眺めていたのである。(P9)

十一歳から十八歳までの七年間を、彼は、燃えやすくて変な臭いのするアルメニヤ紙のように、めらめらと焼きつくした。(P18)

われわれの人生の地図は折りたたまれているので、中をつらぬく一本の大きな道は、われわれには見ることができない。だから、地図が開かれて行くにつれて、いつも新しい小さな道が現れて来るような気がする。われわれはその都度道を選んでいるつもりなのだが、本当は選択の余地などあろうはずがないのである。
ある若いペルシャの園丁が、王子にこう言った、
「王子様、今朝私は死神に出遭いました。死神は私に向って、何か悪いことの起こりそうな仕草をして見せました。どうかお助け下さい。今晩までに、なんとかしてイスパハンに逃げのびたいのですが」
親切な王子は自分の馬を貸してやった。午後、王子が死神に出遭った。
「なぜお前は」と王子が訊いた、「今朝、うちの園丁をおどかすような真似をしたのかね?」
「おどかすような真似だって?」と死神が答えた、「とんでもない、驚いた仕草をして見せたまでだ。だってあの男、今朝はイスパハンからこんな遠いところにいたのに、今晩はそのイスパハンでおれにつかまる運命なんじゃないか」(P28-29)