ジョリス=カルル・ユイスマンス: さかしま

ジョリス=カルル・ユイスマンス / JORIS-KARL HUYSMANS | 1848-1907 FRANCE

フランスの小説家。本名 Georges Charles Huysmans。生涯の大半を内務省属官に在職のまま文筆活動を続けた。処女作の散文詩集《ドラジェの小筥(こばこ)》(1874)はボードレール、ベルトランの影響があらわで、彼が真の進路を初めて見いだしたのは小説《マルト、一娼婦の手記》(1876)によってである。これがゾラに認められ、以後ゾラの弟子として自然主義を宣言する小説集《メダンの夕べ》(1880)にも寄稿するが、生来神経質で世紀末的審美眼の持主である彼の資質が、技法的にはあくまでも細密な自然主義的手法を駆使しながらも、やがて自然主義文学観からの脱出を志向させ、小説《さかしま ∂ rebours》(1884)を書かせた。卑俗な日常世界に背を向け昼夜逆転の耽美的人工楽園に生きて破滅する主人公デ・ゼッサントは、当時のデカダン派青年の憧れを一身に体現し、またその愛読するボードレールマラルメ、ベルレーヌの存在を世に周知させた。作者自身にはこの後には〈銃口か十字架の下か〉(バルベー・ドールビイの《さかしま》評)の選択しかなく、彼は後者へと向かい、小説《彼方》(1891)に悪魔崇拝の迷夢を描いた翌年、カトリックに回心した。以後《出発》(1895)、《大聖堂》(1898)、《献身者》(1903)の三部作でカトリシズムの精髄を聖歌、建築、典礼に託して克明に描破したが、他面聖地ルルドの群衆の醜い姿や聖女リドビーヌの悲惨な故事を描くなど、決して信仰の中に安住しきったとは思われない。なお、モロー、ルドンを賛美するなど具眼の美術批評家でもあった。

さかしま (河出文庫)

さかしま (河出文庫)

彼の意見では、混沌と渦巻いている未完成の作品の裡にこそ、この上もなく鋭い感受性の高揚、この上もなく病的な心理学の気まぐれ、また、感覚と観念の沸騰せんばかり辛辣な味を抑えたり隠したりすることを絶対に拒否する、言葉のこの上もなく極端な頽廃が認められるのだった。(P266)

普通選挙の時代、利得の時代にあって、この詩人はひとり文壇を離れて暮らし、まわりの愚俗を軽蔑してこれを避け、遠く社会とへだたって、ひたすら知性の思いがけない喜びと、脳髄の幻視とに満足を見出した。そして、すでに形の整った思想をさらに洗練させ、これにビザンティン風の繊細な趣きを付加し、ほとんど目に見えない糸でつながれた素描の演繹法によって、この思想を不滅のものたらしめた。
この綯い編まれた、凝りに凝った思想を結び合わせるのに、彼の用いた言葉は、粘着性がつよく、孤立的で、しかも秘密の陰翳のある言葉であった。それらはすべて文章の緊縮と、省略的語法と、大胆な譬喩とに富んでいた。
その上、彼はこの上もなく遠くにかけ離れた類似《アナロジイ》を見出すと、しばしば類推作用を駆使して、ただの一語をもって、同時に形態と、香気と、色と、質と、光と、物象あるいは人物を表現した。もし単に一つの専門語をもって指示したとすれば、その形や陰翳をことごとく表出するためには、数多くのさまざまな形容詞をこれに組合わさなければならないところであったろう。(P283)