失われた雪のはら

-改ざんされ得る記憶の有用性について-

気づけば自身のサイトが3年と半年も放ったらかしになっていて、自分のことには何一つ手付かずでいる。そもそも自分のことと他人のこととの違いとは何か。心の指標としての理想郷が消滅してからは、原動力の在り処が内側でなくなり、昔を思い出すこともなければ懐かしむ習慣もなくなった。懐かしむ対象もないし、懐かしむことの意義もないと感じる。

自分が今居る現在の空気の匂いは感じ取れないが、過去のそれら曖昧な匂いはふとした時に感じ取ることができる。以前の職場を辞めた時、ほんとうにそんな場所があったのかと訊かれ、思い出せたのは地下鉄の昇り階段から見える白い光のみで、その場で即答はできなかった。私には、過去を美化しながら話し上から叩かれた記憶が沢山ある。泣けばお化けが寄ってくるといった馬鹿げた迷信もまた根深い。