Collaboration with Junichi Takahashi Vol.1

Collaboration with Junichi Takahashi Vol.1

Collaboration with Junichi Takahashi Vol.1 『Michael』

写真家 たかはしじゅんいち氏とのコラボレーション制作、第1作目のグラフィックです。モデルの神格化をコンセプトとして企画を進めるにあたり、写真を提供していただき制作しました。

従来と異なり命ある対象を取り扱うので、何度も迷い足して描いては消しの繰り返しで、他力=シャーマニズムの存在を否定したりもしましたが、自分の綺麗だと思うものを作ればよいといったシンプルな結論に至ったところで一気に進み、感謝の気持ちで仕上げました。

元となった写真は、下記 たかはしじゅんいち氏のポートフォリオサイト、[Home / Gallery / Beauty] のコンテンツに掲載されています。目に見えて人の息吹のかかった写真は、よくよく考えれば観られる機会などそんなにないので、是非ご覧ください。

JUNICHI TAKAHASHI Web Portfolio

写真家 たかはし じゅんいち | Junichi Takahashi

新潟県新潟市出身。写真家・立木義浩に師事。1988年、フリーランスの写真家として独立、翌年よりNew Yorkに拠点を置く。2004年からは東京にも拠点を置き、国内活動を積極的に展開。以来NY&東京の2重(住?)生活をしている。今年は活動20周年、来年は渡米20周年を迎える。

ポートレイトを中心に、広告、音楽、ビューティー、雑誌等において幅広く活動。1995年からは世界的エンターテインメント集団「STOMP」のオフィシャルフォトグラファーを務め、Jennifer LopezMaxwell、Baby Face、Marc Anthonyなどミュージシャン達のCDジャケットや雑誌掲載写真を撮り下ろす。2002年2月には、坂本龍一氏によるプロジェクト「Elephantism」撮影のためにケニアへ。最近では、宮本亜門氏演出の舞台「トゥーランドット」のポスタービジュアルほか、Johnson& Johnson「ワンデーアキュビュー」等の広告写真を手がける。

1995年からのライフワークとして、NYの伝説的ホテル Chelsea hotelの住人達をはじめ、アーティスト・ポートレートの撮影は現在も続行中。撮影旅行は、ペルー、ネパール、南アフリカアイルランド、ケニヤ、英国、トルコ、ギリシャ、 etc. “日本在住写真家”として、“NY在住フォトグラファー”として、国境を越えた活動を展開、常に世界を移動し続けている。

今回は錯視がテーマで、眼球のレンズと光の中間にある膜や、黄泉の風みたいな曖昧かつ流動的なものを表現したかった。カメラのレンズも人間のそれと同様の仕組みだから、人に見られることで倒錯を重ねることになるし、視力や色覚、ディスプレイの環境も千差万別なので、どこかで偶発的にもそれが発見されることを願っている。

元写真の肩と腕の内角がたまたま120度以上であったことから、目の錯覚が生じ支点が動いて見えてくれたらと期待するが、現状まだそこまでの表現力はないと思う。

私は遠視で乱視で斜視でまして作業する側なので、人よりも正確な計測、客観視はできていないかもしれない。眉間のあたりで漠然とした波形を探るのみだが、美醜の判別は本当なら胸で行うべきだと今回の制作で思い出した。

例えば本を読む時もただ文字をなぞって喉もとで反芻するよりも、著者と一体になって胸と腹の中ほどで反復するように読んだ方が、その言葉のもつ意味や感情もよく入ってくる。

先日、とあることをきっかけに科学雑誌を買って読んでみた。"0次元の宇宙から高次元の宇宙まで"という題材の本だった。我々の住む世界は3次元空間+時間の4次元時空だが、もしこの世界が11次元で構成されているならば、「電磁気力」や「重力」、「強い力」と「弱い力」など、4つの力を1つの理論で証明できるというので、科学者たちは4次元目以降の余剰空間を血眼になって探している。

それを証明するための理論としては、我々の見ることのできないミクロの世界に高次元空間が潜むといった「超ひも理論」や、宇宙を1枚の膜として高次元に包括されているといった「ブレーン理論」などがあり、現実的にそれを証明するために、2008年の今年中にはスイスのLHCという陽子加速装置で4次元空間へエネルギーを伝える実験が行われる。これはこれで面白い試みだし結果を見守りたいが、自分はそのLHCという外周27kmの装置を作った人の力にこそ感心する。

しかし高次元へのエネルギーの放出は、古今東西の芸術や音楽や祈祷や呪術によって、とっくに表現されているのではないかと単純に思う。また、感動した時に体を走った静電気は空気中に霧散するが、もしかしたら計測不能なだけでどこかに蓄積されているのではないか、されていたら面白いなと思う。

亡くなった人の居た場が解けて大気に行き渡るなら、私はより多くのエネルギーをそこに還元したいし、膜を隔てて不可視的な存在がそこに居るのなら、寂しくないしどんなによいだろうと思う。還元する手段は笑いでも怒りでも何でもよいが、自分にはいまのところ制作が近道で、合わせ鏡の作用もあいまってそのプロセスに何か発見があるかもしれない。

古代ギリシアの哲学者プラトンは著書『国家』の中で、「我々の見ている世界は"影"かもしれない」と述べている。洞窟に閉じ込められた囚人は、目の前に映る影こそ世界の全てだと信じ、影をもたらす立体の姿を知ることもなく一生を終えると謂う。

自分は例えば時計盤の数字が12個までしかなければ13個目の文字盤を表現したいし、とにかく未知のものや不可視的な要素を見出すことに通じていたい。

そういった隠された対象=イデアは言葉で人に伝えようとした途端に頭の中から消え去ってしまうもので、何度目の挑戦になるか判らないが、最終的に言葉を失った時に自分を表現する媒体が必要なのだと思う。

1人では実現不能でも、コラボレーションという形なら何らかの反応が起きて可能になるのではないだろうか。皮をめくっていけば好奇心や渇望しか残らないのかもしれないけれども。これから楽しみながら追求していきたい。