鏡の国の表現者

人形たちとの出会いは、わたくしにとって衝撃的な出来事であった。はじめて人形たちと対面したのは16歳のころだったかと、おぼろげに記憶している。当時は、隔離病棟のなかで返事をくれない白い闇に幾度も声にならぬ叫びを放り投げていた。神経が極端に細く感情の抑制が利かないのは幼少期のころからで、それは現在にいたっても相変わらず、非常に情けなく感じている。

2週間ほど眠られずに覚醒したままの頭で、あることを円環的に考えに考えつくした時期があった。錯綜するふたつの記憶と思考とが、裏と表が白と黒とのメビウスの輪を描きながら、どこかでほつれたがっているようであった。そのころに人形を抱き寄せるようにみて、不可思議なことに一瞬でも正気にもどることができたことは忘れられない。幾何学的なものが観念的なものへ蕩けこんでゆくさまがみてとれて、わたくしは理屈ぬきにあの人形たちが好きでならない。人形というのは、きっと夢現の映し鏡のようなものなのだろう。

シュルレアリスムという曲線と、デジタライズされた直線との狭間、あるいは、個性的なものと、没個性的なものの狭間で、いつも不安定に揺れ迷っている。両極端は相一致すると同時に、独創性などというものは幻想にすぎないのである。

ともあれ、表現者というのは、子供のままの身体感覚をつねに内包している、猛々しくも儚い生き物なのだろう。