神と玩具

ユートピストが主知主義の最後の拠点として、原型《アルケテュプス》の探求におもむくのはけだし当然である。原型志向とは自然の諸法則の混乱と動揺の中に不変の原理をつかみとろうとする意欲であって、つまるところ、不変不易の実在としての自然に即く。だがそれは窮極の真理の解答を前にした、一種の判断停止ではないだろうか?

しかしおそらく人間は、そのような世界に永くたえられない。イメージの時代の次には、どうしても行為の時代、狂暴な覚醒の時代がやってこなければならぬ。なぜなら、何度もくりかえすように人間は有限な存在なのだから。そして、マクロの時代の進行は、決して一定の軌道を通るわけではなく、諸事物の展望を刻々に変改させてゆくことをやめはしない。時計は、ダリの絵のように、溶けることだってあるのである。