アルケテュプスの探求

過去の自分の記憶が命令口調をもってして現在の自分に乗りうつってしまうのか、或いは地球の裏側にいる未だ知らない他人のみている夢の記憶が表側にいる自分の意識の最下層に影響を及ぼしているのか、とにかくシンクロニシティを過敏に感じとってしまう性癖が精神的にも肉体的にも限界をきたしたときに身についたらしく、例えばひとつのスプーンを食器篭にいれる際に過って非常に取り難いところに置いたとき、再びそれを手に取ろうとしてもがいている自分の姿が目に映る。まるで蝶が中国で羽ばたいたときに生じた空気圧がやがてはアメリカに台風を巻き起こすようなものであるから、自分の一挙手一投足を意識しながら生きている。

無意識が欠落すると自意識が膨張しはじめるのはけだし当然のことであるが、ユングの唱える集合的無意識というデータベースへのアクセス権を失ったとも喩えられるであろう。なぜならば、ユートピストが主知主義の最後の拠点としてアルケテュプスの探求に赴くのは必然であるし、それは信実を目の当りにした一種の判断力停止の前兆だからである。

一箇所にじっとしていられないほど常に恐怖感に囚われ、なにかに腕を引っ張られている感触がするのは、どこかに忘れ物をしたか、どこかに運命の岐路があることを感じとっているからだろう。メモ帖に「運命」という文字を何ページ分も書き連ねたことがあったが、生とも負ともつかない関係念慮とは決別できなかった。恐らくは一時的に完全な思考停止へと追いやってしまわなければこの性癖が消え去らないことは判っているが、それには致命的な論理矛盾があるため、精神は破綻する一歩手前で留まらざるを得ない。祖父母との優しかった思い出すら、幾重にも折り重なったダブル・バインドによって穢されてゆく。己を憐れむことはおろか嗚咽することさえ赦されていない。