マックス・エルンスト『慈善週間、または七大元素』

慈善週間または七大元素 (河出文庫)

慈善週間または七大元素 (河出文庫)

散文書評 ―幻覚、意識変容の見地から―

太腿の間、膝の辺りに黒い異物を挿し込んだまま裸体で床にあおむけに横たわる1人の女。両方の腕は荒縄で縛り上げられているのだが、見開いたその2つの眼は苦痛の色を浮かべているどころか、いま自分がどういう状態にあるのかということすら気がついていない。馬車、あるいは列車の中、ころがる女の前の席に腰かけているのは2人の動物人間と、2人(2匹)にはさまれている、細縄で腕から足先まで縛られすっかり怯えあがっているけちな泥棒風情の小男。男達は変貌する。ライオンに、イースター島の石の顔に、鳥に。何のため。不吉な欲望につき動かされて、女を略奪し、我がものとするためである。強盗、流血、悲鳴。

だが眼を見開いたまま眠って無重力の空間を無限に降下していく女達を捕らえることはできない。かえって男の方がその欲望の邪悪な円環である物質に捕えられ、閉じ込められてしまうのであるが、しかしそれは女達には深い眠りの夢の中の膝の間の異物にすぎないのである。そこで男達には2つの可能性が残される。静止した石と化し、スフィンクスのように目を見開いていること。もう1つは、鳥になること。飛翔して上から全てをその視野に収める、または内部にまで貫き通る鳥の眼玉の凝視する視線と化すことである。

ところで昨年はよく夢を見ては日記に書いており、また日記に書いたことが容易く現実に起こり得た。下記はその限りでないが、これより夢週間としてここに引用し再記録する。

実家の天井が極端に低い屋根裏部屋が舞台だった。小さく開かれた窓から薄く透き通った光が青く射し込んでいて、埃を被ったシャンデリアと市松人形と風神さま雷神さまの像がある。僕は子供のころその部屋が恐くて近寄れなかった。まだ両足で立つことができず微かな光しか感じ取れない赤子の時分はその部屋を虫のように這い回っていた。油彩の絵画と夕陽の光が網膜にきつく焼きついている。本来ないはずの古いテレビが白い光を黒いベッドシーツに落としていて、その上で男性と女性が交わっている。絶頂に達すると女性は足の指を一本ずつ失わなければならないといった暗黙の慣習があり、簪をつけた女性は眉間にじわじわと皺を寄せ、赤い血をその第一関節から垂れ流し、中指と薬指とを喘ぎながら1本ずつ失っていった。2人ともまるで蜥蜴のような皮膚をしていた。

2005年11月5日『夢日記』より