雑考

ぼくが読書に明け暮れていた時期は7歳のころで、主に宇宙や人体に関する図鑑などに興味を示していました。腹を切開された肝臓から感じとれた生臭い匂いと味は忘れられません。

たとえば過ぎ去った季節の音楽を聴いているときに想起される思い出とその頃の匂い、そういった刺激が現在のぼくには足りないような気がします。人を人たらしめている部分である前頭葉に、五感のうちで唯一アクセス可能なのが嗅覚ですが、時間の概念を失っていくと同時にそれはたちまち消え退いていきました。

みなさんはどのような音楽を聴いていますか? ぼくは、プログラムを打つときは Mylene Farmer、Robert、Delerium、Sigur RosMy Bloody Valentine、Lily of the Valley、Evanescence を聴いていて、デザインをするときは J-pop を聴くことでバランスを取っています。

そういえば、神保町古本祭りの季節が迫ってきましたね。一昨年は毎日のように足を運び、埴谷雄高『死霊』やマルキ・ド・サド悪徳の栄え』、ピエール・マッコルラン『恋する潜水艦』、ジョリス・カルル・ユイスマンス『さかしま』などを安価で購入したものです。冒険劇であったり快楽文学であったりとジャンルはばらばらですが、作家から作家へ、作品から作品へと興味の幅は広がり、布団に寝っ転がりながら貪り読んだものです。

藤野一友・中川彩子の画集『天使の緊縛』やマックス・エルンストリトグラフ『慈善週間あるいは七大元素』も一時の淡い夢へと誘ってくれます。観念の権化とも申すべきでしょうか、視界のぼんやりとした部分に形而上的かつ些末的なフィルターをあてがう技法には息を呑むばかりでしょう。ちなみにゾンネンシュターンの作品へのオマージュも印象に残っています。

ヤン・シュヴァンクマイエルブラザーズ・クエイ然り、どうして人間というのは無意味かつシュールなものを好み、何の役にも立たない玩具を愛でるのでしょうか。それはオートマティズムを何遍も裏返しに裏返した快楽の道具であり、場合によってはヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』のように一固体の生物にも成り得ます。16世紀のドイツでは、男性の精液を蒸留させホムンクルスの生成に成功したとのことですが、それを創りあげた錬金術師は次第に恐くなっていき1ヶ月で屠ってしまったとのことです。

17歳のころは田舎で人形をつくっていました。粘土と発泡スチロールの虜となり、途中で頓挫してしまったものの、ようやく人並みのナルシシズムが戻りつつある現在、またつくってみようかという気になってきています。